どこから僕か?
僕について考えたきっかけ
ものもらいになってしまった(正確にはものもらいよりもたちの悪いサンリュウシュという病気)。
まぶたの一部を切開したので生まれて初めて眼帯をした。眼帯というか、ガーゼがべったりとテープで固定してある。面白いかと思ってガーゼの上に目を(印刷した紙を)貼ってみた。
微妙に違和感があるが僕である。僕に僕の目を貼っているのだからそれはやっぱり僕である。では僕でないものに僕のパーツを貼ったら僕だろうか?
僕はなにを言っているのか? 具体的にはこういうことである。
ちょっと遠くてよく分からないか。近寄ってみよう。

「ここだよ。ここ」
電柱に僕のパーツを貼ってみたのだ。これは僕だろうか。電柱に忍び込んでいる僕、であるような気もするが電柱である気もする。貼り方が下手なんじゃないかという気もする。
無機物が僕になる瞬間

目だけにしてみた。見たことがある下がり眉だがちょっと僕とは言いにくい。にわかせんぺいみたいだ。うん、これは僕ではない。ならばこれではどうか。
「みてますよー」
ああ、この顔は見たことがある。僕だ。ハロー、イッツミー。
僕になる境界がわかった
目と鼻と口があれば僕だ。なんでも僕にしてやろうじゃないか。

はとに矢印さされる僕

木になった僕
むかしはこのビルで働いていたんだ
「林さん、どうしたんですかそんなところで」
同僚に間違われる壁(僕)
実はそうでもないと思っていた
外でいろんなものに僕のパーツを貼ってみて、うーん、僕っぽいけどそうでもない気がする…と思っていた。しかし会社の壁を僕化(僕のパーツを貼ること)したところ、
「似てる!」「あ、林くんだ」「たしかに林だ」
と同僚から上司まで全肯定であった。そうか、僕はこんな顔をしているのか、とあらためて認識を新たにした次第である。外のものを自分にすることで内なる自分が見えてきた。身近な疑問を探ることは自らの源流を辿る旅。コネタ道場へのご応募、お待ちしております。
右が本物です
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